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奈良地方裁判所葛城支部 昭和47年(モ)177号 判決

申請人

山本久

右訴訟代理人

松原倉敏

被申請人

吉川一成

外一名

被申請人

小串工務店こと

小串賢哉

右両名訴訟代理人

白井源喜

白井皓喜

主文

当裁判所が同庁昭和四七年(ヨ)第五一号建築禁止仮処分申請事件につき昭和四七年九月一一日になした仮処分決定は之を取消す。

申請人の本件仮処分申請は之を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

此の判決は第一項に限り仮に之を執行することができる。

事実

申請人訴訟代理人は、「奈良地方裁判所葛城支部が同庁昭和四七年(ヨ)第五一号建築禁止仮処分申請事件につき昭和四七年九月一一日になした仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という)は之を認可する。」との判決を求め、その申請の理由として

一、申請人は、昭和三八年頃第一住宅株式会社(以下「第一住宅」という)から奈良県北葛城郡王寺町畠田六丁目九八九番地の四八の宅地196.22平方米(以下「山本宅地」という)を買受け、その地上に第一住宅に請負わせて木造瓦葺平家建居宅(床面積83.67平方米、家屋番号九八九番の四八、以下「山本居宅」という)を建築し、その所有権を取得して同年八月頃から此処に居住して現在に至つているものである。

被申請人吉川一成は、同年六月頃第一住宅から山本宅地に南接する同番地の三六の宅地219.98平方米(以下「吉川宅地」という)を買受け、その地上に同会社に請負わせて木造瓦葺平家建居宅(建坪一三坪、家屋番号九八九番の三六、以下「吉川居宅」という)を建築し、その所有権を取得して現に此処に居住しており、被申請人小串工務店こと小串賢哉は、建築業を営み、被申請人吉川の注文を受けて吉川居宅二階部分の増築工事を請負い、本件仮処分決定の執行に至る迄その工事を進行させていたものである。

二、被申請人吉川が吉川居宅の二階増築工事をなすに至る迄の経緯は次の通りである。即ち、被申請人吉川は昭和四七年六月二四日頃申請人に対し吉川居宅に二階を増築する計画であることを伝えたので、申請人は口頭で、右増築によつて山本居宅平家部分の縁側の日照を妨げないよう考慮して欲しいと申入れ、且つ増築計画図面の呈示方を求めたところ、被申請人吉川は右図面が手許にないことを理由に容易に図面を呈示しようとはしなかつたが、その後吉川居宅の西側の平家部分全体に二階を増築しようとしていることを口頭で説明した。しかし、此の計画通りに吉川居宅に二階を増築すれば、山本居宅の日照が妨害されることになるので、申請人は被申請人吉川に対し再三に亘ってその増築計画の変更を求めたが、被申請人吉川は、既に被申請人小串に右計画に従つた増築工事を請負わせたことを理由に右要求に応じなかつた。そこで、申請人は王寺町町会議員石川竜夫に調停方を依頼し、同人の尽力によつて吉川居宅増築設計図を入手することができたのであるが、此の図面によると本件増築は吉川居宅平家部分の西端を0.91米西へ延ばし、この西端一杯に東西7.28米、南北5.72米(床面積約41.64平方米)、高さ6.8米の二階を増築しようとするものであつたので、吉川居宅に右設計図通りに二階を増築した(以下「本件増築」という)場合と、右増築部分の内西側から東へ1.82米の位置の南北の直線迄の長方形の部分(別紙斜線部分、以下「差止請求部分」という)の増築を取止めた場合とに分けて、冬至期に於ける日影図を作成して検討したところ、前者の場合には山本居宅一階四畳の洋室部分に対する日照は午前一〇時迄と午後二階以降であつて一日の大半の射光が阻害されるのに対し、後者の場合は午後一時には日照が回復して前者に較べ一時間の日照量が増加することが判明した。そこで申請人は被申請人吉川に対し右各日影図を示して差止請求部分の増築をしないことを申し入れたに拘らず、被申請人吉川は、本件増築について適法に建築確認を受けたこと及び被申請人小串との間の前記請負契約に基づく着工期が切迫したことを理由に、右申入れを拒否し、昭和四七年九月五日頃吉川居宅の屋根を撤去し、翌六日には二階部分の上棟を完了して本件増築工事を進行させるに至つたのである。

三、ところで、吉川居宅に本件増築が完成した場合、山本居宅の日照は次のように著しく阻害されることになる。即ち、申請人が右交渉の過程で被申請人吉川に示した前記各日影図面には山本居宅の記載に若干の方位の差があり、且つ右図面は吉川居宅の西北方に存する島津方居宅を度外視して作成されたものであつたが、正確には山本居宅と吉川居宅及び右島津方居宅の位置は別紙図面記載の通りであつて、本件増築がなされると、冬至期に於ては、山本居宅一階四畳の洋室には午後一時迄全く日照がなく、午後一時から午後三時頃迄の約二時間の間の日照も本件増築部分の西端と島津方二階の東端との間に僅か二、三米の隙間から太陽の西漸につれて日照が東へ移動しつつ漏れてくる限度であるに過ぎない(尤も右洋室には、被申請人等主張の通り西側に窓があるが、前記島津方居宅が遮ぎるのでこの窓から冬至期に於ける日照を期待することは全くできない)。之に反し、前記差止請求部分の増築が為されない場合は、冬至期の日照時間を約一時間増すことができるのである。

四、我国の住宅団地に於ける住宅には冬至期の日照が特に必要であつて、それが法的に保護されるべきことは言う迄もないところ、本件増築の完成によつて蒙る山本居宅の前記日照阻害は明らかに申請人の受忍限度を超えるものである。即ち、

(一)  山本宅地及び吉川宅地を含む前記王寺町畠田六丁目九八九番地一帯は、第一住宅が通称「緑ケ丘分譲住宅団地」として開発した緑に囲まれた住宅団地であつて、昭和四八年四月から第一種住居専用地域指定を受けることになつている住居専用地域であるから、日照の享受、利用については、マンション等の高層建物の建築が排除されるだけでなく、その他の住宅の建築に際しても相当高度な配慮が加えられなければならない地域であり、公団住宅設計基準第一三条に「住宅の一以上の居住室の日照時間は、冬至において原則として四時間以上とする。」と規定されているところが参酌されなければならない。

本件増築について被申請人吉川は建築基準法に従い建築確認を受けてはいるけれども、同法は行政上の取締法規であつて一般私法とはその目的を異にし、個々の建物所有者乃至建築主相互間の相隣関係に於ける利害の調整を図ることを直接の目的とするものではないから、同法を遵守したからといって、現実に最も陽光を必要とする冬至期から約三ケ月間、山本居宅から全く日照を奪うに等しい結果を生ずる本件増築が適法化されることはない。

(二)  前記分譲宅地は一区画が五〇坪前後の面積しかない狭い宅地であつた為、右分譲当時第一住宅と購入者等との間に右団地内では二階建居宅は建築しない旨の特約が為されており、どうしても二階建居宅を建てたい者には団地の最も北寄りの部分を分譲していたのである。その後第一住宅が倒産し、年月も経過して団地内居住者の家族構成が変化する等の事情から、次第に団地内で二階を増築する者が現われ、申請人自身も昭和四五年夏その居宅に二階を増築したけれども、いずれも右特約の趣旨を尊重し、北側住宅に対する日照、通風等の妨害を軽減する為の特段の配慮をして来たのであり、申請人も右増築に当つて二階部分を東側に寄せる等の配慮を加えている。

然るに、被申請人吉川は吉川宅地の南寄り部分に相当の空地があり、これを有効に活用すれば山本居宅に左程の迷惑をかけずに済むに拘らず、前記日照阻害を生ずる本件増築をしようとしているのであつて、右増築は右特約の趣旨に反することは勿論、前記住宅団地の地域性とも相容れないものである。

(三)  本件増築によつて日照を阻害される山本居宅の前記四畳の洋室は、平素は主婦の家事、育児、幼児の遊び部屋になつており、又毎月和泉市から訪れて一、二週間滞在する申請人の老母の為にはその居室となるものであつて、冬期に於ては好天時には朝から夕方迄部屋一体に陽光が溢れ、暖房不要の家屋内で最良の一室であつた。従つてこの部屋の日照を奪うことは申請人が従来家族と共に享受して来た快適で円満な生活を山本居宅に居住する限り永久に喪失させることになるのである。

一方、被申請人吉川方に於ては、前記の如く吉川宅地中南寄り部分にかなりの空地を有し之を活用し得るだけでなく、前記差止請求部分の増築を取止めても尚相当の広さの二階を増築することができるのであり、且つ現在そのように設計を変更することは建築技術上も容易であつて増築後の吉川居宅の安全性にも欠けるところはなく、設計変更に伴う費用の増加も確かである。

本件増築による山本居宅の日照の阻害について、被申請人吉川に積極的な加害の意思があつたとは思われないが、前記交渉の経緯に照らすと被申請人吉川は極めて利己的であつて相隣者間に強く要請される協調性に欠け、申請人が譲歩して差止請求部分のみの増築中止を求めているのに対してすら耳を藉そうとせず前記石川竜夫の調停にも応じようとしないのである。

(四)  尚、本件紛争の成行きは、前記住宅団地居住者全員の注目するところであつて、その結果如何によつては団地内に二階の濫築を招き、日照権紛争の続発を見る虞れすら無しとしない。

以上の諸事実によつて、本件増築による山本居宅の日照阻害が申請人の受忍限度を越えるものであり、その為申請人が将来暖房費の増加、精神的苦痛など測り知れない損害を蒙るであろうことは明らかであるから、申請人は被申請人等に対し物権的請求権及び人格権に基づき前記差止請求部分の撤去を求めることができるところ、本件増築が完成すれば右部分の撤去を求めることは困難となるので、申請人は右差止請求部分の増築工事の続行禁止を求める為本申請に及んだ。

五、尚、被申請人等は保証を条件として本件仮処分決定の取消を求めるが、日照等の侵害は一遍性のものではなく、持続的継続的な性質を有するものであるから、被害者にとつては生じた損害の賠償では救済としての意味がなく、侵害の停止乃至抑制こそが必要なのであるし、反面加害者にとつても金銭賠償の責任を負うよりも、妨害行為の自制又は改善方法を講ずる方が却つて相対的に有利若くは容易である場合も存するのであつて、日照阻害の排除を求めている本件に於ては、被申請人等主張の如き方法による仮処分の取消は許されるべきものではない。

と陳述し、〈証拠略〉。

被申請人等訴訟代理人は、主文第一乃至第三項と同旨の判決を求め、答弁として

一、申請人主張の申請の理由一、の事実はすべて之を認める。

二、同二、の事実中、昭和四七年六月二四日被申請人吉川が申請人に対し吉川居宅に二階を増築する考えであることを伝えたこと、右増築について申請人が被申請人吉川に対し再三申入れをしたが、被申請人吉川が結局之を拒絶したこと、被申請人吉川が申請人に増築設計図を交付したこと、本件増築の規模が申請人主張の通りであること及び被申請人等が同年九月六日吉川居宅の二階の上棟を完了して本件仮処分決定が執行される迄本件増築工事を進捗させつつあつたことは認めるが、その余の事実は之を争う。同年六月二八日被申請人吉川が申請人から受けた申入れは、本件宅地分譲の際二階建はしない旨の特約があり、申請人は被申請人吉川の右増築に反対であるから増築は取止めるべきであり、且つ右増築については建築確認申請の際近隣の同意書が必要であるが、申請人はかかる同意はしないとの趣旨の申入れであつた。之に対して被申請人吉川は、既に前記住宅団地では、吉川居宅の周囲六軒の内四軒が二階を増築し、東向いの八軒のブロックはその内六軒迄が二階建になつており、現に申請人自ら二階を増築していることを指摘して増築取止めの申入れを拒絶したのである。しかし、被申請人吉川は隣同志のことなので能う限り本件増築について申請人の諒解を得たいと考え、増築設計書を申請人に交付し数回に亘つて申請人と話合いを重ねている中、同年七月三日奈良県大和高田土木事務所職員波多野定彌が申請人と王寺町町会議員石川竜夫との吉川居宅の増築を不当とする申告による実地検分と称して来訪したが被申請人吉川の妻から実地について説明を受けた上、右波多野は本件増築の計画には何ら問題はないことを認め建築確認申請に隣人の同意書は不要であることを説明して引揚げ、同月七日同町小黒公民館で開催された新用途地域説明会に於ける町当局の説明を被申請人吉川の妻が聞いたところ、本件増築は新しい日照基準に照しても不都合はないことが判明した。申請人はその間も度々本件増築の計画変更を申入れており、被申請人吉川は以上の如き経緯から快適な交際ができないことを案じて一時は転居先を物色する程であつたが、前記の通り本件増築が適法であることを知つたので、同月一一日右増築について前記土木事務所に建築確認申請書を提出し、同月二九日に確認を受け、同年八月一一日建築確認証を受領した。そして同月二一日被申請人小串が本件増築の基礎工事に着手したところ、翌二二日前記石川竜夫が申請人の意を承けて被申請人吉川方を訪ね、話合いを進めることになつたので、被申請人等は一旦工事を中止したが、話合いがまとまらなかつたので、同年九月五日工事を再開したのである。

三、同三、の事実中、申請人の作成した日影図に方位の誤差があつたこと及び山本居宅、吉川居宅及び島津方居宅の位置が申請人主張の通りであることは認めるが、その余の事実は之を争う。申請人は、山本居宅中の一階四畳の洋室のみを捉えて日照阻害を云々するのみならず、同洋室西側にある幅六尺、高さ三尺の窓から受ける日照を全く度外視しているけれども、本件増築が完成しても山本居宅全体の日照を奪う訳ではなく、又右洋室のみを観ても西窓からは本件増築の有無に関係なく四季を通じて午後一二時四〇分には日照を受けはじめ、南側からの日照は冬至期に於ても午後一時一七分には回復されるのである。而も申請人は山本居宅の日照のみを論じ、自然光線の採光について全く触れるところがないが、本件増築は山本居宅の採光には同等影響を与えるものではない。結局、本件増築による山本居宅の日照阻害は、申請人の主張する程にしかく著しいものではないのである。

四、同四、冒頭及び末尾の主張は之を争う。本件増築により山本居宅に生ずる日照の阻害は申請人が社会的に受忍すべき範囲内にある。

同四、(一)の事実中、王寺町畠田六丁目九八九番地一帯が第一住宅の開発した「緑ケ丘分譲住宅団地」と称する緑に囲まれた住宅団地であること、右団地が昭和四八年四月から第一種住居専用地域の用途地域指定を受けることになつていること、公団住宅設計基準に申請人主張の如き規定があること及び本件増築について被申請人吉川が適法に建築確認を受けていることは認めるが、その余の事実及び主張は争う。建築基準法は、日照権を保護する為昭和四五年六月一日の改正によつて第一種住居専用地域に於ける斜線制限を設けたのであるが、この制限は北側境界からの距離一米迄は建物の高さを五米とし、境界からの距離が一米退く毎に高さは1.25米の割合で制限を緩和されるところ、本件増築完成後吉川居宅の最高部分となる二階の棟の位置は吉川宅地の北側境界線から3.78米南になるので、右基準を適用すると9.72米の高さにしても差支えないことになるが、実際には本件増築完成後も吉川居宅の高さは6.8米となるに過ぎず、本件増築が優に右建築基準法に適合するものであることは明らかである。同法の前記の如き厳しい制限が、日照保護の為に設けられたものである限り、これに適合した建物の建築に違法性がないことは当然としなければならない。

同四、(二)の事実中、前記住宅団地中に二階を増築した居宅があり、申請人も昭和四五年に山本居宅に二階を増築したこと及び吉川宅地南寄りの部分に若干の空地があることは認めるが、右住宅団地分譲の際に二階建築禁止の特約があつたことは否認し、その余の事実及び主張は争う。前述の如く右団地内にはかなりの数の二階建居宅が現存するのであつて、申請人主張の如き特約があれば、かかる現象が生ずる筈はない。被申請人吉川居宅を平家建にしたのは、当時、宅地購入資金の外に二階建の家屋を建築する迄の経済的余裕がなかつたことと、家族も妻弘子と当時一才の長男和男(昭和三七年一月一二日生)との三人暮しでそれ程広い住居を必要としなかつたことによるものである。又、吉川居宅が吉川宅地の北寄りの部分に存し、被申請人吉川がその南乃至東寄りの位置を避けて本件増築を計画したのは、吉川宅地の地盤は北寄りの部分、中でも北西の部分が最も堅固で南寄りの部分は軟弱であつて、前記差止請求部分の敷地が最も地盤の堅い個所に当るからである。尚、被申請人吉川は南寄り空地部分にガレージ及び物置を建築する予定である。

同四、(三)の事実中、被申請人吉川に加害の意思のないことは認めるが、その余の事実及び主張はすべて之を争う。申請人は前記の如く自ら山本居宅に二階を増築しているだけでなく、申請人が日照の阻害を強調する前記洋室は、ミシンや洋服箪笥等を置き雨天には洗濯物を干したりする所謂スペアルームであつて、多少の日照阻害があつても申請人に痛痒はない筈であある。之に反し、現在の吉川居宅は前記の通り平家建で五畳半と六畳の和室各一間、七畳半と四畳半の洋室各一間及び浴室、便所等があるのみであり、本件増築によつて二階に六畳の和室二間と四畳半の洋室二間が設けられることになるのであるが、被申請人吉川方には昭和四〇年六月三日二男昌男が出生して長男と共に成長しつつあり、被申請人吉川の両親も現在大阪市住吉区で借家住いをしているが老令であつて、早晩吉川居宅に引取らねばならぬ状況にあるので、右増築によつて漸く生活の安定がもたらされるのである。そして、前記差止請求部分の工事を取止めれば、吉川居宅一階北側の風呂の焚口に四寸角の通し柱を立てて家屋の安全を講じなければならないことになるが、かかる構造は建築上不可能である上、増築後の二階西側六畳二室は長三畳二室となつて、座敷としての体裁を全く失うことになる。

同四、(四)の事実は争う。前記住宅団地には数一〇戸の住宅があり、夫々の敷地は山本居宅及び吉川居宅等と大差のない面積で、前記の如く二階建の居宅も多数存在するけれども、本件の様に日照権問題を惹起している例は全く存しない。

そもそも、建物の規模、構造等がその地域の通常の土地利用法に適つたものであるならば、それによる被害は受認すべきものであり、以上の諸事情の下に於ては、本件増築が前記住宅団地内の宅地の一般的利用法を逸脱したものと言えないことは勿論であるから、前記差止請求部分を含む本件増築による山本居宅に対する日照阻害は申請人が社会的に受忍すべき限度内にあるものとすべきである。

五、従つて、申請人の本件仮処分申請は理由がないので、本件仮処分決定はこれを理由として取消さるべきであるが、尚、本件仮処分の執行によつて吉川居宅は屋根を取り払つた状態の儘であり、冬期を迎えて被申請人吉川は困惑の極にあるのみならず、工事中断によつて被申請人等の蒙る損害には測り知れないものがあるから、被申請人等は予備的に保証を立てることを条件として右仮処分の取消を求める。

と陳述し、〈証拠略〉。

理由

一、申請人は昭和三八年頃第一住宅から山本宅地を買受けその地上に山本居宅を建築して之に現住しており、被申請人吉川は同年六月頃同様に山本宅地の南側に隣接する吉川宅地を買受けその地上に吉川居宅を建築して之に居住していること、山本居宅、吉川居宅及びその北西に存する島津方居宅の位置、形状が別紙図面記載の通りであること、被申請人吉川が昭和四七年六月頃吉川居宅に二階を増築することを計画し、その工事を被申請人小串に請負わせたが、右計画によると本件増築の規模は吉川居宅平家部分の西端を0.91米西へ延ばして拡張し、延長した西端から東へ7.28米、南北の幅5.72米(床面積約41.64平方米)、棟頂部の高さ6.8米の二階を増築しようとするものであること及び被申請人等が同年九月六日吉川居宅に二階部分の上棟を完了し、本件仮処分決定の執行される迄本件増築工事を進捗せしめつつあつたことは、当事者間に争いがない。

二、そこで、先ず本件増築工事が完成した場合、之によつて山本居宅がどの程度の日照の阻害を受けるかを検討すると、成立に争いのない疏甲第一七及び第一九号証には、申請人の強調する山本居宅一階西南部分の四畳半の洋室は、冬至期に於ては午前一〇時頃迄は従前から吉川居宅の日影の影響を受けていたが、午前一〇時以降は陽光を遮ぎるものは全くなかつたところ、本件増築が完成すれば、午前九時半頃その西寄りの部分に陰影を受け始めて午前一一時には完全に本件増築部分の陰に入り、午後一時半頃右西寄りの部分に日照を回復し始めて午後三時頃完全に本件増築部分の陰影から脱するが、午後二時二〇分頃からは前記島津方居宅の陰に入り始めるので、山本居宅南側を本件増築部分と島津方居宅との間の空間から差込む陽光の帯が西から東へ移動することになるように示されている。しかし、申請人本人尋問の結果によると、右各図面の方位は申請人が磁石の示すところに従つて決定したというのであるが、成立に争いのない疏乙第二〇号証の二によると、地球の実際の北(即ち経度の北)と磁石の北(即ち磁北極)との間には偏角があり、我国に於ては現在略々六度の偏角があるから、実際の北は磁石の示すところより約六度東の方向に当り、且つ成立に争いのない疏乙第二〇号証の一及び第二一号証によると、太陽の南中する(即ち太陽が天球上の子牛線を通過する)位置に変化はないのであるから、申請人の方位測定が正確であつたとしても約六度の誤差があり、これを時間に換算すると二四分になることは計上明らかである。従つて、実際の本件増築部分による日影は前記疏甲第一七及び第一九号証に示すところよりも二四分だけ早く始まり早く終ることになる訳であるが、一日に於けるその変化の仕方には変りがないものと考えられる。尚、前記洋室西側に幅六尺、高さ三尺の窓があることは当事者間に争いがなく、前記島津方居宅を考慮に入れた場合、少くとも午後約三〇分間はこの窓全体に陽光が差込むこと及び山本居宅二階部分が殆ど本件増築部分の陰影の影響を受けないことは、前記疏甲第一七及び第一九号証によつて明らかである。

三、ところで、居宅の日照、通風、採光等は快適で健康な生活に必要な利益であり、それが他人の土地の上方空間を横切つてもたらされるものであつても法的保護の対象となり得るものである(最高裁判所第三小法廷昭和四七年六月二七日判決、判例時報六六九号二七頁)ことは言う迄もなく、従来享受して来た日照等が他人によつて違法に妨害されたときは、被害者は自己の居宅又は敷地の所有権乃至占有権に基づいてその妨害の排除をも請求することができるものと解せられる(申請人は、この外、人格権に基づいて同様の妨害排除を求め得るものと主張するけれども、之に従うと、上記生活利益の侵害については従らに請求権者の数を増して法律関係を煩雑にするばかりでなく、動植物に対する被害を救済できない結果を生ずる虞れがあるので、右主張は採り難いものとしなければならない)。しかし、日照等の妨害は、煤煙、騒音等を隣地に流入させることによつて隣人の生活利益を侵害する所謂債極的侵害と異なり、通常、自らの所有地に自らの建築物を構築するという所有権の範囲に属する行為によつて、従前その建築物が存在しないことによつて享受して来た隣人の生活利益を阻害する、いわば消極的侵害に過ぎないのであるから、いずれの侵害による被害者にも等しく法的保護が与えられなければならないとしても、消極的侵害について妨害排除迄許容する為には、単にそれが社会生活上一般に受忍すべき限度を越えたというに止まらず、右受忍限度の逸脱が特に著しいと認められる程度に迄違法性の強い場合であることを要するものと解すべきである。

そこで、本件増築部分の完成によつて予想される山本居宅の前記日照の阻害が、その排除の為に既に着工された前記差止請求部分の工事の差止を許さなければならない程、著しく受忍限度を超えるものであるか否かについて検討する。

(一)  先ず、前記王寺町畠田六丁目九八九番地一帯が第一住宅の開発した「緑ケ丘分譲住宅団地」と称する緑に囲まれた住宅団地であること、右団地が昭和四八年四月から第一種住居専用地域に指定されていること及び被申請人吉川が本件増築について所轄官庁から建築確認を受けていることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない疏乙第九号証によると右地域指定は都市計画法第八条第一項第一号、第九条第一項にいう第一種住居専用地域であることが明らかであるから、右地域の指定を受けた後は右団地内の建築についても昭和四五年法律第一〇九号による改正後の建築基準法第二条第二一号により同法第四八条第一項、第五五条、第五六条等が適用され、特に北側隣地の日照を考慮して右改正によつて新設された同法第五六条第一項第三号の規定による制限を受けることになる訳である。そして、成立に争いのない疏甲第四号証によると、本件増築後の吉川居宅の北側壁面は山本宅地との境界から0.92米、最高の棟頂部が同じく3.78米の距離を有することが明らかであるから、これに前記制限を適用すると吉川居宅の北側壁面の高さは6.38米以内、棟頂部の高さは10.37米以内でなければならないところ、成立に争いのない疏乙第一号証の一によると、本件増築後の吉川居宅は、その最高の軒の高さが5.8米であつて、この高さは北側壁面の高さと大差ないものと考えられ、棟頂部の高さは前記の通り6.8米であるから、本件増築は建築制限の最も厳しい第一種住居専用地域の建築基準にも優に適合するものであることが明らかである。

又、公団住宅設計基準第一三条に「住宅の一以上の居住室の日照時間は、冬至において原則として四時間以上とする。」との規定があることは当事者間に争いがなく、右規定の趣旨は住居専用地域内の居宅の日照について参酌されなければならないであろうが、前認定の如く、山本居宅全体を考えた場合その二階部分の居室は本件増築後の吉川居宅の陰影の影響を殆ど受けず、従来通りの日照を享受することができるので、既にこの点から右設計基準の趣旨は山本居宅についても生きているばかりでなく、前記疏甲第七号証によると、山本居宅の平家部分南側の午前中の日照は、最初に先ずその南東部に張り出した山本居宅自身の二階部分によつて阻害されるものであることが認められ、且つ前認定によつて明らかな如く午後の日照はその大部分を島津方居宅によつて阻害されるものであるから、本件増築による山本居宅の日照阻害の責任を被申請人等のみに帰することは相当でないといわなければならない。

(二)  申請人の主張する右団地内の二階建禁止の特約については、申請人自ら山本居宅に二階を増築し、右団地内には他にも二階を増築した者があることは、当事者間に争いがないにも拘らず、申請人本人は右主張に副う供述をしており、成立に争いのない疏甲第九号証の二、第一〇、第一二及び第一三号証にも同様の記載があるけれども、右疏甲第九号証の二の作成者である証人石川竜夫のこの点に関する証言は必ずしも明確でなく、疏甲第一〇、第一二及び第一三号証はその作成者について反対尋問の機会もなく一方的に作成されたものであるから、之等の書証に容易く信を措くことはできないし、前記団地の分譲者である第一住宅が作成したものであることに争いのない疏甲第九号証の一によつても「出来得る限り平屋建を前提としていた。是非二階を必要とされる場合は近隣土地購入者が建築されるに対し日照権の問題が起らないような場所に指示指導するよう会社として指示しておりました。」というに留まるのであつて、之を以て前記特約の存在を認定することは困難である。そして申請人の前記主張を裏付ける資料は他に存在しないので、右主張は結局その疏明がないものとする外はない。

(三)  申請人の主張する山本居宅一階四畳半の洋室の使途については、申請人が撮影した写真であることに争いのない疏検甲第八号証によつて、同洋室に箪笥様の物が置かれていることが窺われるのみであつて、之を詳細に認定すべき資料はないが、同洋室に人が居住するとすれば前記日照の阻害によつて冬期に多少の暖房費の増加を招くであろうことは推認することができる。しかし、本件増築を全面的に取り止めるならば兎も角として、前認定の事実によれば、前記差止請求部分のみの工事を取止めたからといつて、日照に格段の差がある訳ではなく、右暖房費に著しい差を生ずるものとは考えられない。

一方、被申請人吉川が本件増築を必要とする理由及び吉川宅地内の地盤の強弱についても、之を認定するに足る資料はないが、被申請人小串本人の供述によると、前記差止請求部分の工事を取止めることにして設計を変更した場合、既に基礎を施して上棟し、通り柱、梁を構築した増築部分の中、右差止請求部分と之に接する東側の部分の工事を改めてやり直し且つ山本居宅の風呂の位置を変えなければならないことが一応認められ、その建築技術上の難易は別として、その為に被申請人吉川がかなりの出費を強いられることは明らかである。

尚、吉川宅地にはその居宅の南側に若干の空地があることは当事者間に争いがないけれども、申請人も自認する通り、被申請人吉川に積極的な加害の意思は認められないのみならず、本件増築をめぐる申請人と被申請人との間の交渉は本件増築に着手する以前である昭和四七年六月二四日被申請人吉川が申請人に対し右増築の計画があることを伝えてその諒解を得ようとしたことに端を発したものであることは当事者間に争いのない事実であつて、この事実からしても被申請人吉川が申請人の主張する程に利己的乃至非協調的であり、従つて相隣者間に於ける信義に欠ける者であると考えることはできない。

(四)  更に、申請人は本件の成行き如何によつては前記団地内に日照権紛争を続発させることにもなり兼ねないと主張するけれども、所謂日照権の問題は南側土地の居住者と北側土地の居住者との間で個別的、相対的に解決すべき問題であつて、仮に申請人主張の如き事情があつたとしてもかかる事情を本件の判断の資料とすることができないことは論を俟たない。

さて、建築基準法は行政上の取締法規であつて、之を遵守したからといつて必ずしも一般私法上の義務を尽したことにはならない場合のあることは申請人の主張の通りであるけれども、前記改正によつて新設された同法第五六条第一項第三項の規定が専ら北側隣地の日照を保護することを目的とするものであることは規定自体とその新設の経過に照らして明らかであり、而もその制限はかなり厳格なものと考えられるから、右規定は私法上の所謂日照権紛争についても一個の基準たをる失わないものとしなければならない。そして、本件増築が右規定の制限内にあることは前認定の通りであつて、前記団地内の宅地使用目的にも合致していることその他、以上に検討した諸点を綜合して考えると、本件増築の完成によつて予想される山本居宅の前認定の程度の日照の阻害は、未だ社会生活上一般に受忍すべき限度を著しく逸脱したものと認めるには困難なものと考えられる。

四、してみれば、その余の争点について判断を加える迄もなく、申請人の本件仮処分申請は、その被保全権利の存在について疏明がなく且つ保証を以て之に代えることも相当でなく、結局理由がないことに帰着するので、本件仮処分決定は之を取消し、申請人の本件仮処分の申請を却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第七五六条ノ二を、夫々適用して、主文の通り判決する。 (中川臣朗)

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